桜島 太郎

悠大なる桜島を毎朝眺めている男

 南より風おくります。

 来週の火曜日は以前参加していたテニスクラブの年1度の交流試合に奄美大島にUターン帰住した友人が3年ぶりに参加すべく当地に来たる。そのため大会前日と大会翌日の2日,高齢男子にての親善ラリーに誘われた。気の合った飲み友同士でもある。私もやろうと即答したのだがラケツトを2年半も握ったことがないのでさっそくクローゼットの奥より引き出し,近くの県営テニス場で壁打ちを行った。今週中にもう一度壁打ちしておきたいが当日,足がもつれて打てるのだろうか。ふらふらとしてラケットにボール当てるのが精一杯であろう。奄美の友の顔もみたいので参加したい。飲み会にも誘われているが,ある理由から断ろうと思っている。
 人の定めはいろいろである。力つきて旅立つ弟の嫁を見送った。残さねばならない肢体不自由な息子のことを最後まで案じていた。家族を下支えしてきてくれた最大の功労者でもあった。ご苦労様,そしてどうか安らかにと祈るのみであった。

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 学生時代のことであるが実家の薩摩川内市より鹿児島市南部にある学校まで片道3時間以上かけて汽車通学していた頃があった。スポーッあとの爽快感にひかれそして気のあう仲間と時を忘れて興じた。その汽車通学仲間が4年の時に鹿児島市内にアパート住まいを始め途中私に同居の誘いあり2人での自炊生活が始まった。トイレと炊事場所が共有の古い2階建ての部屋で遊び(社交ダンスと異性交遊)に明け暮れた。とてもなつかしい思い出である。卒業後彼は大坂市内の企業に勤め上層に登りつめたが景気悪化に伴うリストラの嵐に洩れず,多くの部下を去らせた後自身も退社しガードマンとして働いていた。リタイア後は鹿児島に戻りたかったらしいが奥様の理解得られず横浜に居をおいて。卒業後ほんの数回しか会っていないが彼との思い出は褪せることなく残る。
 つらいリストラ処置での心労がたたったか10年以上前から難病を患い肢体不自由となり最近は福祉施設のディサービスに通うのを日課としていたらしい。その友が先日入浴中に心筋梗塞にて死去。冥福を祈るのみである。我らももう70を過ぎているのである。


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 当時私が利用していたSL。高度成長期を団塊世代は,SL列車のごとがむしゃらに力強く走り抜けたのであろう。

 想い出は 古きアパート せんべい布団
   憂うなく 汗まみれ 道着まとい 異性の香
                              時として抱き 彼は今 鹿児島の空 ただよう
     

   Dさん爪の様子が変だとのこと。私は足のすねと腰骨付近のかゆみが数年続いている。特に足のほうは乾燥肌になっておりうっかりするとカサカサとなってくる。2日おきくらいにクリームを塗っている。頭髪も今や白山。  先日「おじいちゃん」と呼ばれた。個人差はあるものの確実に各部がいたんできている。これも自然のなりゆきである。 ところで最近日課時限をかえ朝5時起床,とりためた映画やドギュメンタリーものを見て時間つぶし6時25分になったら健康体操。そのためか夜食を終えた後猛烈な眠気に襲われてしまう。遅くとも9時には意識を失う。そしても夜間数回覚醒しトイレする。多い時で4~5回少なくても3回はとはたまた忙しい。トイレが寝室の横にあるのが幸いなことである。あまり目覚めないDさんがうらやましいが,かと言って睡眠不足の感じはないのである。

20190724-01_radio2_12 とても可愛い愛ちゃん


 目がさめて 無遊病者は どこへいく    自作
       
 
 あたたかな飯がある   あるがままに雑草として芽をふく   うれしいこともかなしいことも草

 しげる   どうしょうもないわたしが歩いている      ~  種子田 山頭火
  

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