桜島 太郎

悠大なる桜島を毎朝眺めている男

2017年07月

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   いろんなことが同時に進む。1年以上前から不動産会社に依頼していた実家の売却話が進みつつある。宅地と付随する畑も一緒に売り出したものの農地法にて畑部分は売買できないとのこと。買い手が農業従事者でないとダメとの施行令があるとのこと。他の市町村では可能なところもある模様。農地法による国土(農業用地)確保の趣旨は分かるが運用面で融通のきかなさを感じる。やむなく宅地のみの売却する見通し。しかし相手の方が畑を借りて作ってみたい意向があるようなのでそうしてもらおうかと思っている。とにかく築山・庭・畑の手入れから解放されたい。後は休耕田たる田圃の手入れだけ自分達でやろう。息子も海外帰ってくる頼りにしようかな。
   ご先祖の 残せし遺産 我が妻は
   負たる遺産と 言いにける
            けだし遺産は 血肉なり
            われが命の もととなり

    娘退院です。午前中手続きして病院を後にする。昼食は娘宅にて孫含めて4人でニューメン食とする。私も暇なのでリハビリ兼ねて手伝う。孫の塾終了をもって娘・孫連れて我が家に戻り婿は仕事多忙とのことで娘・孫私宅に泊まる。当面娘は家事はできないので私達と婿の母親交互で娘宅にて家事をとり行うこととする。 私の現状ですが夜の睡眠状態が今までと変わってきており, しばらくはこのような状態が続くかも。この年齢での5時間にわたる全身麻酔や3日2晩の不眠が脳神経に影響しているものと思う。退院後今までのとおり9~10時ころ休むが約2時間後熟睡したような感覚で最初にめざめてトイレする。また就寝し熟睡感とともに1時間後目覚めてトイレする。この繰り返しにて午前3時には完全に意識覚醒し, 起きて読書やパソコンに向かい5時前に眠りにつく日々が続いている。大量 (1日約2リットル弱) の水接種による尿意がこのようにさせているのかあるいは臓器喪失に対して(1個になった腎臓負担増)脳指令塔がとまどっているのか。昼間の尿意は以前とおりであり夜間ほどの頻繁さはない。

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 昨日私の散歩道を術後初めて歩きました。元気に復帰できたよと木々に語りかけることでしたがセミの音が実に元気に飛び交ってました。そうだもう夏本番なのだと思うことでした。
 泣きしだく 今をさかりと せみのねに
       生きかえりしと  古稀の坂越え
セミの命は短く我々の命は極めて長い。病院での皆さんの闘いと整理をしつつ見守る家族・・・ 知ること多き1週間でした。
 ところで話かわり当地(鹿児島市)の花ご存知でしよぅか。それは夾竹桃という高さ2メートルの木でこの季節うす紫の花をつけます。毒性がありますが大気汚染にに強く街路樹としてよく植えられている。我が散歩道脇にもこの夾竹桃の花が咲いている。とてもとてもそんな怖さを感じさせない可憐さである。

 結婚した娘は1年半位してからだったろうか。私達に妊娠したことを告げた。妊娠・出産等については母体(腎臓)にかなりの負担をかけてしまうため勧められないと腎臓担当医師から告げられる。それでも出産すればいつか腎臓が機能しなくなり透析せねばならなくなる。娘はこの忠告に対し「生まずに後悔するより, 産んでの苦労を受ける」とのことであった。私達夫婦は「そこまで考えているのであれば何も言えない。婿・婿の両親にそれで納得してもらえるか話しあってほしい」と伝え, 結果出産の運びとなる。

   透析を 覚悟の妊娠 強き子よ
   遅き春 迎えしむすめ 涙する (1個にせよ,完全に機能する臓器
                   を得られた娘への私の涙)           

 娘小学5年生の時, 自宅居間テーブル上に帰宅してちらかしたままの娘のランドセルがあり一部外にノート類が散乱していた。何気なくそれに目をやったが, 1枚の用紙あり, それは小学校の先生が子供たちに書かせた「私の夢」についてであった。
  わたしの夢, それはみんなといっしょに体育をすることです 
 これを見た私はこみあげる不憫さに涙した。人一倍活発勝気であった娘が・・ 替われるものなら替わってやりたい。できることがあれば何でもしてやりたいと思った。その機会もなくあれから30年, 私は今その遂げられた思いにこころ震えている。 Dさんのご好意に甘え心情を吐露してしまいました。妻にも語ったことのないひとこまの話です。

 娘は小学3年1月の朝「下まぶたが腫れる」状況に至り病院へ直行, 診断結果は腎臓病とのことで8か月間鹿児島市立病院に入院す。原因として年末の風邪がなかなかなおりきれなかったのに正月従弟達と遊び回っていたこと。そして思い起こすと奄美瀬戸内町勤務時(娘3歳)風邪のため地元医者から薬もらうもなおらず名瀬の病院まで連れていき治ったこともある。(気管支炎と診断された記憶あり)いずれも風邪の完全治癒は大事であり何週間もして風邪が治らないと危険である。風は万病のもととも言われる。この時より娘の両腎臓はそれぞれその半分が機能できないこととなり小学・中学とも体育の時間は見学を余儀なくされている。なぜもっと早く気づいてやれなかったかと悔やんでも悔やみきれないものを感じた。しかし娘は明るく成長し, 4年間大学生活も満喫し地元の会社にも勤められて結婚までに至る。同様のわざわいなきことを願いつ掲載致します。

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