桜島 太郎

悠大なる桜島を毎朝眺めている男

2018年05月

  おいどんな かんじん かんじん あんひとたちゃ よかし・・・

で始まる五木の子守唄。かんじんとは「勧進」に由来し貧しい生い立ちをさす言葉らしい。自分達は生まれつき貧しい・・ 平家の落ちうどの地はそれら一族を監視する幕府方の者に監視管理され,家・田畑すべてを幕府方の武士に借りる「もらい人」であった。

   おいどんな ぼんぎり ぼんぎり ぼんからさきゃおらんど・・・ とはお盆になると子守のつとめを終え親元に帰れる。お盆までの辛抱だと言い聞かせ頑張ったのであろう。哀調を帯びた唄である。

 昨日,九州縦貫道人吉インターで下り山あい方向を40分進行した球磨川上流(川辺川)の静寂な渓谷の地「五木村」に着いた。深い渓谷の高台に道路・橋梁が整備されていた。皆さんご存知,記憶にあろうか。民進党政権時代に建設中止となった「八ッ場ダム」とともにこの地に計画されたダム建設は中断されたままである。ダム建設を前提とした高台に移転したままの五木村民の思いは宙に浮いたままである。時の流れもあろう。
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 昨日に続き蜜蜂(日本蜜蜂)の習性について紹介いたします。
 女王蜂は雄蜂と雌蜂の子を自由に生み分け,雄蜂は女王蜂との交合に専念,雌蜂は働き蜂として蜜の収集に専念。集めた蜜の量が多くなり蜂数増えると女王蜂は新女王を生ましめるべくその部屋(蜜を収集し女王蜂誕生用に保存してある空間・間仕切り)に産卵する。他の一般蜂産卵とは異なる部屋のようである。その幼虫はやがて大きくなり女王蜂となる。推測するに極めて良質な蜜を集中的にその子に注ぎ大きくさせるのでは。そうなり旧女王は新女王に巣を譲るべく箱から出る。それに雄蜂と雌蜂もつき従う「分蜂」という分家のような現象となり,近くの樹木の枝に一旦女王蜂が止まるとそれを囲むようにして働き蜂等が群がり急激にゴムまりのような状態になるとのこと。私も一度公園にてそれらしいものを目にしたことがある。女王蜂は2~5年生き他の蜂は数か月の命。

 養蜂業者は地元にて菜の花(今はあまり見られない)の時期に採蜜し,その時期終了と共にそれぞれの花の開花期に沿って北上,最後は北海道に渡る。7か月をかけ一般人宅に間借り,あるいはテント生活しながら暮らす。 養蜂業者が頑張っていた時代,それは田・畑に菜の花・レンゲ草が咲き誇り,目を奪われるような輝く当時の故郷の風景が思い出される。
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 心地よく過ごしやい日々が続きます。Dさんは再収監の日々でしょうが。解放の日のおどるような気持を楽しみにしつつお過ごし下さい。
 先日第二別荘と名付けている当地の県営施設「ふれあいスポーッランド」のプール歩行した後,温泉ジャグジーに浸りボンヤリと外を眺めていたら心地よい5月の風に桜木の葉が実に楽し気に揺れ動いていました。

    風おどる 桜ば(葉)ゆれし さつき(五月)かな

  先日友人宅を訪ねたら養蜂の趣味を持ち近くに数個の巣箱を置き採蜜作業についているとのこと。めずらしい趣味故に蜂の習性を聞いていると私に吉村昭の小説「蜜蜂乱舞」を貸してくれた。私に彼は「この小説読んで下さい。私が説明するよりよく分かる」とのことで借り受け今読んでいる最中である。主人公は当県の鹿屋市に居住,1年のうち7か月を巣箱と共に全国を移動する。女王蜂を中心とする彼らの団結・協働は驚きである。蜜蜂の命は短く子孫維持のために必死に,かつ組織的に動く。蜂の脳の大きさはその小さな体にしては極めて容量が大きいとのこと。うなづける事実でもある。めずらしい習性ゆえに詳細は次回にて。
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地元新聞のコラム「南風録」より印象を受けたものがあり紹介させてもらいます。
    薩摩藩英国留学生が旅立った串木野市羽島港に先日一行19名の
   レリーフができたとのこと。それに関して一行の中の「町田久
   也」は東京国立博物館初代館長を務めたが,突然官を辞して仏門
   に入った。その数年後かっての宿舎を訪ねた町田氏と思われる虚
   無僧は「いろいろと世話になりました」と述べて笛を吹いたとい
   われている。
           また北海道にビール産業を興した「村橋久成」も突然職を辞し
   行方不明となり11年後,神戸にてシャッに帯1本で行倒れ49歳で
   亡くなった。彼ら一行の多くは各方面で先駆けとして功績残し
   たが,この二人の人生航路に「思うに任せぬ人の世を感じた」とあ 
         る。 奇しくもお二方の名が同じ「久なり」である。
   このお二方の名は知ってはいたがこのような人生を歩んでいたとは。との思いである。薩摩人は実直なのはいいのだが変に意固地過ぎるところもあると思っている。西郷さんにしてもしかり。
イメージ 1 ~村橋久成の画像~

 テニスに関するお尋ねですのでブログにて。昨日テニスで前衛している時,左肩やや上付近のボールに対してボレーで返そうとして2度ともネット下に沈んでアウト。自分の位置はネットにやや近寄っていた。相手ボールの強弱にもよることとは思うが体を瞬間左に若干でも開いての打ちが必要だったのか ? お尋ねです。上級者はグリップ握りを瞬時変えたりしているのだろうか。その後前衛の時,また早くて強い左頭上に来たボールには伸び上がりチョコンと当ててヒットはできた。体左側の腰から上あたりに来るボールは初心者泣かせのコースなのかな。以前からうまく対応できない。クイックな運動神経が必要な気もする。ということは相手に対してもそのコースを狙う手もあるのか。うまく狙えれば。しかし練習試合でそこまではどうか。最近ストレート返しで相手前衛左を抜く・狙う攻めをと思っているが。何か勝に拘るようで気が進まないところもある。以前数回試すも一度相手前衛(女性)にもろ当てしたりしてから思い留まっているが・・・

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