おいどんな かんじん かんじん あんひとたちゃ よかし・・・
で始まる五木の子守唄。かんじんとは「勧進」に由来し貧しい生い立ちをさす言葉らしい。自分達は生まれつき貧しい・・ 平家の落ちうどの地はそれら一族を監視する幕府方の者に監視管理され,家・田畑すべてを幕府方の武士に借りる「もらい人」であった。
おいどんな ぼんぎり ぼんぎり ぼんからさきゃおらんど・・・ とはお盆になると子守のつとめを終え親元に帰れる。お盆までの辛抱だと言い聞かせ頑張ったのであろう。哀調を帯びた唄である。
昨日,九州縦貫道人吉インターで下り山あい方向を40分進行した球磨川上流(川辺川)の静寂な渓谷の地「五木村」に着いた。深い渓谷の高台に道路・橋梁が整備されていた。皆さんご存知,記憶にあろうか。民進党政権時代に建設中止となった「八ッ場ダム」とともにこの地に計画されたダム建設は中断されたままである。ダム建設を前提とした高台に移転したままの五木村民の思いは宙に浮いたままである。時の流れもあろう。