昨日の地元新聞,南風録に宮城県にある「鹿児島県人七士の墓」についてのコラムがあった。西南戦争に敗れた薩摩軍の兵士は裁判にかけられ各地の監獄に収容され宮城県の地にも送られたものの,最後は地元に溶け込んだ生涯を送った者もいたとのこと。西南の役従軍者は薩摩各地の郷士の中から地域ごとに数割り当てられ半ば強制的に従軍させられた者もいる。にわか仕立ての薩摩軍であっただけに作戦・武具において政府軍にはかなわなかった。
維新の熱まだ冷めやらぬ薩摩は自壊に向け進み人材を失うことになる。西郷さんは政府にひとあわふかせたい思いとダメな時は若者達とともに散り自分がうち立て大久保が守る中央政府に殉じ, 新しい時を迎えさせようとの思いもあったのでは。思い残すことなき最後であったろう。
当時中央側の作成した薩摩軍に対する降伏を促すチラシ。降参すれば命は助けるとのこと。
話かわり,私達が奄美旅した時のDさん作成の詳細な記録がとても役立っている。来月の奄美旅等の航空券や高速船・レンタカー・宿等すべて手配済にて後は立ち寄り観光先の詰めが残っている。