こういう時ゆえに悠長に読書しています。皆さんご存知の薩摩藩士よる外国人殺傷事件である生麦事件を題材としたノンフィクションものです。事件の概要は常識程度にしか知らなかったのであるが詳細は次のようです。京都から江戸まで公武合体勅使の公家に従い上京し、その帰京中の出来事にて藩主行列のその前の先ぞろえというか前衛部隊の列通過の際には馬上の4人は道路脇に乗馬姿勢のまま無時通過できている。しかしその後,藩主籠の中心部隊はやや膨らんだ形にて対向してきたため外人達は馬をギリギリ左に寄せるも,馬が興奮状態になる暴れだそうとしたため行列が乱れ護衛武士が切りつけた経緯のようである。外国公使等の場合は事情に明るいため,このような場合事前に対向することのなきように脇道にそれて行列をやり過ごしていたたらしい。日本風俗に不慣れな外国商人と攘夷騒ぎのなか意気揚揚としていた薩摩藩士との間の相互認識の違いがもたらした事件である。
この中で感じたことですが,大名行列の随行者に医師・馬医・料理人等も随行しさらに藩主用のものとしての寝具一式や炊事用具・食材(この中には漬物石で抑えたままの漬物いり樽)等にくわえ藩主用簡易組立トイレもあり,1月以上もかけての参勤交替がいかに遠方藩にとり負担になったものかと痛感することでした。
しかし,この事件の後英国と薩摩は信頼関係を結ぶ結果となり武器輸入や薩摩藩士の留学斡旋等,本事件のもたらしたものは図りしれないものがあり,歴史を大きく前進させるひきがねともなった。
この中で感じたことですが,大名行列の随行者に医師・馬医・料理人等も随行しさらに藩主用のものとしての寝具一式や炊事用具・食材(この中には漬物石で抑えたままの漬物いり樽)等にくわえ藩主用簡易組立トイレもあり,1月以上もかけての参勤交替がいかに遠方藩にとり負担になったものかと痛感することでした。
しかし,この事件の後英国と薩摩は信頼関係を結ぶ結果となり武器輸入や薩摩藩士の留学斡旋等,本事件のもたらしたものは図りしれないものがあり,歴史を大きく前進させるひきがねともなった。