学生時代のことであるが実家の薩摩川内市より鹿児島市南部にある学校まで片道3時間以上かけて汽車通学していた頃があった。スポーッあとの爽快感にひかれそして気のあう仲間と時を忘れて興じた。その汽車通学仲間が4年の時に鹿児島市内にアパート住まいを始め途中私に同居の誘いあり2人での自炊生活が始まった。トイレと炊事場所が共有の古い2階建ての部屋で遊び(社交ダンスと異性交遊)に明け暮れた。とてもなつかしい思い出である。卒業後彼は大坂市内の企業に勤め上層に登りつめたが景気悪化に伴うリストラの嵐に洩れず,多くの部下を去らせた後自身も退社しガードマンとして働いていた。リタイア後は鹿児島に戻りたかったらしいが奥様の理解得られず横浜に居をおいて。卒業後ほんの数回しか会っていないが彼との思い出は褪せることなく残る。
 つらいリストラ処置での心労がたたったか10年以上前から難病を患い肢体不自由となり最近は福祉施設のディサービスに通うのを日課としていたらしい。その友が先日入浴中に心筋梗塞にて死去。冥福を祈るのみである。我らももう70を過ぎているのである。


OIP (3)


 当時私が利用していたSL。高度成長期を団塊世代は,SL列車のごとがむしゃらに力強く走り抜けたのであろう。

 想い出は 古きアパート せんべい布団
   憂うなく 汗まみれ 道着まとい 異性の香
                              時として抱き 彼は今 鹿児島の空 ただよう